Meetup@明治生命館

第5回 Meetup for Lovers of Old-ish Architecture に参加。

東京駅そばの明治生命館を見学してから、三菱一号館の Café 1894 にて語り合うコース。

 

岡田信一郎による明治生命館。

GHQによる接収などを経て、いま東京の一等地にこのような形で残されていることに、あらためて感慨をおぼえる。

 

と同時に、今回の見学では、この豪快な明治生命館を建てるために1930年に取り壊しをうけた、ジョサイア・コンドルと曽禰達蔵による瀟洒な初代・明治生命館に思いを馳せることになった。

この Meetup、前回(第4回)は小笠原伯爵邸の見学とバルで語り合うコース。その小笠原伯爵邸を設計したのは曽禰達蔵であり、Meetup 第4回と第5回は、おもえば、曽禰達蔵つながりだったことになる。

 

初代・明治生命館とは、すなわち、1895年に竣工した三菱二号館のこと。

三菱合資会社は、赤煉瓦の一号館に引き続き、赤煉瓦の二号館を建設していた。

この三菱二号館に明治生命保険会社が本社を置き、1915年に三菱よりその土地と建物を買い取る。

 

時代が下り、この三菱二号館が明治生命保険会社にとって手狭であるということから、隣地への増築計画が持ち上がる。その際、曽禰達蔵はコンペ方式をとることを提案し、その主査につく。

この、曽禰達蔵を主査とする増築コンペで採用されたのが、岡田信一郎の案であった。

しかしながら、実施設計において、岡田は、隣地への増築ではなく、新旧の土地を合わせての新築がよいと主張。

最終的に、ジョサイア・コンドルと曽禰達蔵による三菱二号館の取り壊しと、岡田信一郎による明治生命館の新築が決定したという。

 

取り壊しの工事を見つめるふたり。

当時、曽禰達蔵77歳、岡田信一郎47歳である。

 

そのわずか2年後、岡田信一郎は急逝。

明治生命館の完成をその目で見ることはなかった。

 

19世紀末、赤煉瓦の並んでいた東京駅前。

三菱一号館とともに街並みをつくる三菱二号館が取り壊され、コリント式の大柱が並ぶ巨体にとってかわられたとき、人々はなにを思ったか。

新生「三菱一号館」の Café 1894 から、夜の丸ノ内を眺めておもう。

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